ご存じのように私は 2015年 肺がんの診断を受け、現在は化学療法を卒業し経過観察をしている老人がんサバイバーです。
初回治療終了した時、いつか役に立つかもと肺がんの患者会ワンステップに入会しました。
進行性の肺がん(扁平上皮がん)なのでその後再発や転移をしてきましたが、2017年月からは免疫チェックポイント阻害薬(キイトルーダ)の投与を始め4年後の今年6月に寛解状態になり経過観察になっています。キイトルーダは2017年2月に保険適応になったもので、ケモの看護師さんから新しい薬なので情報発信すると参考にされる患者さんや医療者がいるとの助言でそれまでサブだったこのブログをメインブログにしました。
幾人かの方からコメントをいただきました。その中のお一人がワンステップのメンバーさんで、ワンステップさんのブログに投稿されていました。。自分のアカウントがあることは全く忘れていましたが、そのブログからこの会が運営する SNS に登録しました。リンク先の下部に該当記事があります。
メンバーさんの投稿を拝見すると、私の治療経過が順調すぎ何処となくうしろめたさを覚えています。明日は我が身と思いつつ、今は出来ることがあればさせていただいています。
ここからが今日の本題です。
メンバーのなかにお父様を見送られた遺族の方がいらっしゃいます。今はがんの知識を広げようとして一生懸命勉強されているようです。
実は私の父も1990年に舌がんになり大手術をして、リハビリを懸命にやってなんとかしゃべれるようになりました。舌を半分取りましたので、摂食障害は残りましたがミルサーで対応していました。その後皮膚に転移 脊髄に転移して阪神淡路大震災の前年に亡くなりました。SNSに投稿されている方と父を見送った頃の私は多分同年代だと思います。その当時と現在は治療環境はまったく違いますが、がんについて勉強することなど思いつきもしませんでした。
今さら(30年前のことなので)遅いですが、反省することしきりです。
私は、18年前の8月に父を肺がん(肺腺がんステージⅢ)で見送りました。今思えば、確かに担当の先生が「分子標的薬」みたいな単語を言っていた気がします。イレッサが、よくもわるくも世間を騒がせた頃でした。
あの頃の私も、がんを、肺がんを学ぶ気持ちに欠けていました。今のようにインターネットが気軽に使えたわけでもなかったけれど、それにしても何も知りませんでした。知らない上に、当時は本人には病名を言わないというのが主流で、毎日がんではないかと疑う父を、そんなことないよとだまし続けているだけでした。
悔やまれることばかりです。まぁ、後ろを振り返ると、だいたい後悔したり反省したりすることばかりですよね。だから次こそ、後悔しないようにがんばらなくちゃと思ってはいるのですが・・・どうかな。うまくいっているのかな。のちのち、やっぱり反省することになるのかもしれませんね。
それでもなお、コツコツ進むしかありません。親爺さま、私も同じです。反省しきりです!
ビートママさん、コメントありがとうございます。
父のこともう30年も前のことでほぼ忘れていましたが、某SNSで遺族の方のコメントを拝見して思い出しました。
抗がん剤もシスプラチンが承認されるのが1983年なので、父のころは有効なものはほとんどなかったようです。
申し訳ありません、こんな時しか反省することがありません。
この歳になって変れるならとっくの昔に変わっていたと思います(笑)